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【メモ】まちカドまぞく6巻から読み取れる内容の解釈とそれによる個人的な考察

この記事は本当にメモみたいな記事です。あまりにも情報量が多すぎて、書いておかないと頭が定期的にこんがらがりそうなので。

 

この記事にはまちカドまぞく6巻までのネタバレがあります。

 

2022/9/18追記:「那由多誰何の思想について」を書きました。

参考資料(※一部に単行本未掲載部分のネタバレもあります)

kyudomugen.blog.fc2.com

 

 

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小倉救出編

P33

良ちゃんの状況理解度

良ちゃんは兵術などに異様に詳しかったり、学校の勉強がよくできる以外にはどれくらいの事を理解できるのか、どれくらい察しが良い人なのかあまり詳しくは言及されなかったけど、ここの場面をみると、小倉さんがまぞくだと言った後に「まぞくでなくとも光闇関係の人」「町の事情にも詳しそう」「何か事情があって隠してる」ということまで予想していて、シャミ子達が具体的にどんな事件に出会ったり、どんな知識を得たりしてるのかは知らなくとも、彼女たちが光闇関係の事に色々向き合いながら町を守っていて、そこには色々事情がある人が多くて、そんな色々な大変な事に皆で協力しながら向き合っているということをちゃんと理解してそうである

 

序盤の巻でこそ、シャミ子が嘘をついたのもあって、シャミ子達の関係に夢を膨らませていたけど(ここでも言葉では「お姉の軍勢」と言っているが)、この段階ではごく普通に結構深くシャミ子達のことを知ってるのではないかと思う。

 

P52

灰の平原になった街角

「桃が世界を救った」という伏線が、実に1巻の2話ぶりに初めて直接的に回収される

突然すぎる回収、雑誌で読んでいた人はここで「終盤で過去の話をやるのか…?」と思ったんだろうね…あんまり良い思い出ではないと考察できる要素(古傷とか)だけは1巻の夢や3巻などで何度も言及されたのがなんとも。

 

「桃がこれを見ると凹み、小倉しおんの生存率が下がる」理由は何なのか、は言及されないけど、全部を見てから考えると、個人的には、やはり、桃が過去をシャミ子に見せるのを躊躇った理由、すなわち「世界を救うのは自分は上手くできなかった(最後に誰何が復活したから、なのかは分からないがとにかく1巻の夢の中での状況)」「ヨシュアの討伐カードを使った」という事からなのだろうと思う。

そういう意味では6巻の最後まで行った状況では、少なくともグシオンの事はシャミ子は桃に言っても良いのかもしれない。

P54~

グシオンについて

改めて見返すとめっちゃ直接的に書かれている。

グシオンがどうして居なくなったのか、どうして「退場した存在」として時空の迷子に居るのか、という事は6巻の最後まで読まないと分からないのだが、それが分かってから改めて整理して読むとかなり分かりやすい。

 

・P51で「小倉さんのこと、しおんちゃんって呼んでいいですか!!」と言われた時の表情なども、色々と来るものがある。

まちカドまぞくは「表情」を出すコマと、あえて表情を隠して、コマの構図などで心情を読み取らせるコマの使い方が非常に優れていると思う。もはや4コマの芸術。

顔だけが映ったコマや、逆に顔が映らずに景色と後ろ姿を中心に映ったコマを「コマが狭いから」とは言わせない力がある。

メガミマガジン2022年8月号のインタビューによれば、アニメでも、いづも先生が表情を見せていないコマでは絶対に構図を変えたりしないようにしているそう。

 

・P56ではグシオンの能力である推測力で桜さんの言いたい事を読み取って会話したものだと思われる。

 

ここで明らかになる偽小倉の情報をまとめると

 

・グシオンの末裔

・大分前に退場していないはずの存在

・小倉さんは最後の一頁(遺した断片)
→逃がしたけど記憶は引き継げなかった?
→誰何編に出てくる逃げている紙?

・桜さんとおともだち

 

と、まあ、思ったより大体ここで明らかになるんだなあという感じ。

シャミ子も、折角仲良くなったグシオンが恐らくはもう居ないことなどを何となく察する。

 

・桜さんは恐らくここの会話で初めて、6年前?(桃の過去)の事を知ったと思われる。

シャミ子の中にコアがあるなら、シャミ子が知らない事で10年前以降に起こったことは桜さんも知らないのだと思う。逆にシャミ子が知った事とかは知っているかもしれない(そこは推測だけど)。

 

P62

「ここの物を持ち帰ろうとしてない?」とあるけど、ここの表題が「でかめの物が入ってた」で、まあ、これが全てだろう。グシオンを持ち帰ろうとしていることで出口は遠ざかることになったと思われる。

P68

吹き出しが二重になっているのは、何か会話が上書きされているのではないかという推察もできるが、吹き出しの向きが同じだったりすることから、グシオンが同じことを言っているようにも見える。まあ、分からないけど。

そしてこのシーンで唐突に「なるべく全員生き残って!!」と言われ、死の可能性があることが示唆されてしまう…

(いやまあ爆発する時空からの脱出も冷静に考えると相当命がけだしクソダサフォームが無ければ詰んでたけど…)

二次会~桃の過去編

P85~

・「昔だったら呪いの力で話すきっかけを作れたけど、今は直接ウガルルが切り込む」の、ちょっとしたシーンだけど凄く良いよね。

 

桃のモノローグ

・p87からの桃のモノローグが、まちカドまぞくでもかなり好きなシーンだなと思う。

もう、この6巻までの半年の歩みの全てだからな、これ……

「今までそんなに他人の営みに興味なんて無かった」から始まるのがあまりにまちカドまぞくすぎる。まちカドまぞく、やっぱりコミュニケーションの話なので……
この中学のシチュエーションの絶妙なリアルさもなんとも言い難い。

・4コマ漫画で「ここは尺を取っている」「ゆっくり回想している」という表現ができるのがやっぱり凄い。

 

・p88の「ごはんの味がするようになった」の意味合いはもう、何か皆分かるから何も言わなくてもいいだろう……

個人的には比喩的な表現だと思うんだけど、まあ、でも毎日筋肉を鍛えていてお金が有り余ってる人が(自分で作らなくてもいくらでも買えるのに)、1巻では学校の昼食が菓子パンと飲み物だけだったり、一面ウィンナー弁と8つ切り食パン(生)だったりしたのは普通に終わってるので、あながちあんまり誇張でも無い……のかもしれない。

P90~

・「これから結構衝撃映像見せるかもしれないけど——
私は今こうして元気だから あまり気にしないで」も結構重たい台詞。

・「ここから」の標識の使い方が本当に良い。ここの地点に桃の封印された過去の扉がある(後に出てくるやつ。)

桃の過去が6年前なのか9(10)年前なのか問題

・雑誌掲載時は「10年前」の表記と「6年前」の表記が混在する状況で、「10年前」の部分が誤植だと公式発表があった。その後、それらの年数を表記した部分は単行本では全て無くなった…という経緯らしい。つまり一応どちらとも取れる余地を意図的に残される形となっている。

(参考)

kyudomugen.blog.fc2.com

・自分は絶対6年前だと思ってたけど、時々9年前とする説も見かける。

・確かに、文脈的に「世界を救った」というのが誰何の事だったとしても、その正確な年が6年前とする直接的な根拠は杏里ちゃんの台詞しか無いため、そもそも杏里ちゃんの年数は正しいのか、と言えば、いくらでも揺らぐところではある。

・一方で、その反論としては、9年前に町に帰って来たときに桜さんが居ないことに気づかなかった(あるいは、そのうち帰ってくると思って3年程度も待ち続けた)のは不自然だというものがある。

 

・そう考えるとなんとなく9年前っぽい気もしなくは無いのだけど、個人的にはやっぱり、6年前の方が整合性があるというか、6年前であってほしいよなと思うところがある。

・それは、ミカンが3巻で「桃は小学生の時はもう少し笑っていた」という所である。
その、小学生の時というのはやっぱり誰何と出会う前のことなのではないだろうか。

誰何の一件の後、ずっと、桃はあらゆる事がどうでもよくなって、一応町を守るために町に留まるけど、それ以外に生きるための目標が持てなくなった……、で、ようやく3巻の最後にそれを見つけた、という事であって欲しいなと個人的に思う。

いやまあ、ここのミカンの会話の前後も若干、6巻の場面で桜が居なくなったことを知らないのと若干の違和感というか、整合性のズレがあることはあるのだけど、まあ、桃が直接言っている台詞ではないしこちらの方が話の文脈的にやっぱり良いのではないかな、と思うなあ。

P96

・誰何が「嘘をついていない」ことに気づいた桃。逆に言えば、これまでは彼女に「裏切られた」という解釈だったんだろう。その認知のまま6~9年を過ごしたと思うと相当苦しいものがある。どちらにしても苦しいけど……

 

・杏里ちゃんのお母さん(?)がやってる店は当時は「さたんや」で、今の「マルマの精肉」から変わっている。でも、コロッケは佐田家代々の技(p98)らしい。

書き忘れてたけど、現在の杏里ちゃんの家はお母さん、お父さんと赤ちゃん?が居ることが分かる(p13)

ご家族ちゃんと居るんだ……(この作品、あんまりいない人が多い)

ただ、やっぱり「まぞくの連絡網を作ってる人を知ってる」人はいくらなんでも一般人では無いのではないかという感じが拭えないよね。それを桃に話してしまったのは、何かの運命の操作によるかもしれないけど、少なくとも知ってはいた訳で。

P105~

那由多誰何の思想について

なんか、書こうと思ったんですけど以前の記事に大体書いていました。

【雑記】まちカドまぞく 6巻まで読んだ初見感想とかの備忘録(ネタバレ) - 気分中一のブログ

これより引用すると、

とにかくこの人がまちカドまぞくという作品の全てのテーマのアンチテーゼを一手に引き受けて背負った人であることは間違い無いでしょう。

・真面目な話をすると、スイカは出会いがあれば必ず別れがあり、何かで得をする人がいれば必ず損をする人がいる、そういう事を嫌っている。

まちカドまぞくという作品で示されてきた話は、たとえ別れが訪れることがあっても、たとえ過去に辛いことがあったとしても、誰かとそれを分かち合うこと、誰かと対話することでそれを乗り越えられる、それは有限ではなく「ずっと輝いている宝物」になる、というような話だったり、あと、具体的な話では、桜さんとかヨシュアさんとかと(死亡ではないが)今は会えなくても、気持ちは受け継がれていてそういう意味で「心」は彼女の言う「終わり」を超えられるとか、まあ、そういった話だからアンチテーゼとしては本当にしっかりしてるなと思う。

という感じです。

 

あともう少し説明を足すとすれば、例えば、1巻からずっと続いてきたの桃とシャミ子の関係性は、お互いがお互いを補う関係性であるという事かな。

…シャミ子は1巻から明らかにギャグでは消化できない描写のひどい貧困生活を強いられていて、でも、清子さんや色々な人の献身のお陰で健やかに育っていた。

一方で桃は、お金はあるけど、恐らくは過去の記憶のせいで人とほとんど関わらず、食も細く、周りの何にも関心が持てないという、とても心の面で貧しい生活を送っていたが(3巻辺りの時点である程度は推測が可能であった)、シャミ子の献身により、彼女が生きる目標にもなった。

二人は一面だけを見ると、主人公としては、確かに間違いなくかなり「かわいそう」な暮らしをしてきた訳だけど、でも今は、お互いが出会ったことにより、あるいは過去に献身してくれた人のお陰で(=お互いや過去の人の想いによって)元気に暮らすことができている。それ自体が、「かわいそう」が発生することが全て不幸だとするスイカに対する反証の一つになり得ると思う。

 

あと、よくアニメ二期エンディング曲の「宵加減テトラゴン」の歌詞は6巻の内容を意識したものではないか、と言われるけど、まあ、それは多少なりともはそうでしょう。

6巻というか、スイカはやっぱり まちカドまぞくの全てのアンチテーゼだと思ってるので。

個人的な解釈としては、「ぐるぐる町は周りかがやく ころころ十重二十重して」とか、「花めぐり種おちて きっときっと ともしびはいつか 万朶の花になれ!」みたく、「循環」を感じさせる歌詞があるのが、「那由多」という数は大きいけど有限のものだと思ってる、有限のものを追いかけているスイカと異なるところで、まちカドまぞくが大事にしているものなんじゃないかな、と思う。

(先ほどの引用のように、「想いは無限に循環するもの」というのがまぞく的な考え、テーマだと思う)

 

それから、やっぱり、一見理論武装しているように見えるスイカだけど、「かわいそう」とするものを自分一人で決めたり、一方的に自分の理論のみを話して正しさを説明しようとするところなどにはかなりの理不尽さがあり、ある意味それは彼女もまた感情を持っているからではないか、という話題はいくつかの場所で見たけど、自分もそう思う。

だからといってスイカの心を動かすことができるのかどうかは何とも言えないけど、個人的には、光と闇の共生とか、そういう問題を解決するとともにスイカとの戦いも終わる(もしくは逆)、みたいな展開にはなるんじゃないかなと予想したりします。

イカを倒したり和解するだけで作中世界の問題や謎が解決はしそうにないけど、でもやっぱり彼女が「宝物」「まちカドまぞくという作品のテーマ」「日常という概念」のアンチテーゼとして出ているのは間違いないから、同時に最後に据えられる、みたいな。

P112~

桃の過去の過去について

さっき「さいしょの場所だ」とシャミ子が発言している通り、過去編の最初にもこの扉が映っている。

・それで、誤解しやすいし、なんとなく自分も誤解してたのだけど、シャミ子はこの扉を開けて封印された桃の記憶を見た訳では無くメタ子の記憶を見るという形で過去の過去の桃と桜の出会いを見ている。
封じられた記憶について、メタ子は「開けられぬし 永久に開けなくて良いもの」と発言している。

 

・軍服というか、そういう場所で着る用の服のデザインが本当にそういう感じの服なので凄いよなと思う。

過去の過去の記憶を消すということについて

桜さんは「保護されるまでの記憶を全部消してほしい」と発言しているので、それは恐らく、生まれてからこの場面までの全ての記憶を指しているのだろうと思う。

 

それで、現実世界で考えて欲しいのだけど、生まれてから幼少期までの記憶を全て消すというのはとても大変な事である、と思う

出自もあるし、通常であれば、まあ、多少の大変な事があっても、それもアイデンティティじゃないけど、少なくとも周りには受け入れてもらえる事だと思うんだよね。(優しい価値観ならば)

で、それで、まちカドまぞくまぞくは優しくて(何があっても誰もに居場所があって)、かつ現実世界のそういう(心に関する)価値観や倫理観をきちんと持ってる作品だと自分は思ってる。それを踏まえれば、記憶を消すということはやはりこの世界でも重大な事だろう。

だから、その、"普通の範囲内"だったら一発で桜さんの思い出とかも含めた記憶を消さなくても、きっと桃は上手くやっていけるという判断になると思うんだけど、そうはならなかった、ということで、桃が辿ってきた幼少期はここで見たもの以上に壮絶で辛いものだったんだろうなあ、と思う。ここで見た以上にというか、要するに、誰何との戦いみたいな、直接的に心に傷を負うような出来事がたくさんあったんだろうな、と思う。(まあ分かる情報だけで十二分に壮絶であることはあるが…)

 

・そして、先ほどの記憶は「開けなくていいもの」と称されている。そういう意味では、(一応メタ的には読者だけがわかる多少の追加情報としてウクライナ語があるし)今後その苦しみの話とかが具体的にされる事は二度とないだろう、と思う。

まあ、一応、誰何が最終的にあそこまで強硬になった最後の直接的なきっかけがこの一件だったのかな、という可能性もあるので、そこの絡みで意図せずに誰何から語られる展開も無くは無いかもしれないけど(嫌すぎる)…

 

・桃の辛い記憶はヨシュアさんによって消されたけど、結果的には、また6年前に辛い経験をしたせいで桃は気力を失って、もう、とても普通の人生を健やかに生きているという状況では無くなってしまった(と思われる)。

・それを魔法だけではなく(まあ一回掃除はしたけど)、様々な形で寄り添うことでシャミ子が変えて、半年間でここまで来た、という事に何かメッセージ性が見出せそうな気がする。

・最後の、桃のお腹の傷を治すための「かいふくのつえ」はやっぱり、単純な肉体的な傷というよりは心の傷を癒すという意味合いが強いと思うんだけど、それがヨシュアの杖と同じ形でかつ、「誰かを守る、幸せにする」というシャミ子の心が表れたものだと考えると、なんかこう……
単純に夢魔の力で記憶を消したヨシュアよりも、努力という面では弱いまぞくながら同じことを成し遂げたシャミ子は本当に頑張ったよなあとか、桃の宿敵としての一番の吉田家への借りって、討伐カードがどうとかより「ここ」だよなあ、とか、そういう事を考えられるなと思う。

魔法だけでなく、心の働きかけがあって初めて皆の住みよい町が生まれるという点や、魔法は心の力、心の形によって魔法が強まるという点は結構まちカドまぞくで繰り返しやってるテーマなので、ここもそういう解釈もできるよなと思ったりする。

 

・「かいふくのつえ」のコマ、あまりにも構図が良すぎる。ここのシーンの話は上で大体したのでもう言う事は無い……

 

特に言いたかった話

・個人的には桃の過去は6年前、であって欲しい(そっちの方がエモいから)

・桃の過去の過去は基本的にはもう語られないであろう。
しかし、記憶を消すというのはよほどでなければしない事なのでそれ相応の直接的な辛い思い出があったという事なのだろう。

・記憶を消されたけど結果的にまた辛い記憶を植え付けられた桃を救ったのは今度はヨシュアではなくその意志を(結果的に)受け継いだシャミ子であった。

・シャミ子は父ほどの魔力が無い代わりに6か月の努力で傷跡を埋め立てることができた。

 

 

・当ブログでは他にも様々なまちカドまぞく記事を書いています。

kc1game.hatenablog.com

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