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まちカドまぞく2丁目11話は、原作4巻の筋をより分かりやすくしたよね、という話をしたい【感想】

 どうも、最近「まちカドまぞく」にハマってそれ以外の話をしていない筆者の気分中一です。

 

僕は7/5頃から原作の漫画を読み始め、6巻まで読み、アニメを全部見て今に至ったばかりです。

他の方がこれまで書いてきた考察だったり二次創作とかはまだ全然見てないので、もう既にファンの方の間で言われ尽くしたことも多い記事になると思うのですが、アニメ二期11話が非常に良かった、という事でその話をしたいと思います。

(総評みたいな記事はしばしお待ちください。なんせまだ六巻とかが解釈の途中なので…

こちらからどうぞ。

kc1game.hatenablog.com

 

あと、いつもの記事ではですます調なのですが、今回はここから先は~だ調で行きます。なんというか、完全に自信を持ってまとまって言える話にはまだなってないので。

それから、この記事は今後加筆されたりするかもしれません。

 

ここから先は、アニメ「まちカドまぞく2丁目」あるいは漫画「まちカドまぞく」4巻までのネタバレを含みます。

 

※まちカドまぞくはprime会員なら2巻まで無料で読めます。まだの方は是非!

(買う時は単行本にしようね(電子は画質が悪いしなんなら単行本でもたまに細かすぎて画質が足りてないため))

 

 

 

 

 

サムネ用画像

http://www.tbs.co.jp/anime/machikado/story/story11.html

 

 

 

 

 

 

 

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まちカドまぞくという作品のストーリー構成と、4巻について

この作品は、単行本1巻(アニメでいえば6話)ごとの話の区切りが非常に明確で、それぞれの巻の終盤に大きく物語を動かす出来事が起こり、それを乗り越えることで一つのドラマが描かれる、というおおよその構成になっている。

そのドラマの中では、主にシャミ子の関係性にスポットライトが当てられ(1,2,3,6巻など)、彼女らの関係性を通して「せいいき桜が丘」という街かどにおける人々の営み、もっと言えば、人間の普遍的なコミュニケーション(対話)すること、お互いを知ることなどの話がされていると僕は思っている。

(5巻もやや特殊な巻だけど、この巻は本当に凄すぎるのでまたそのうち記事が書かれると思われます)

また、千代田桜さんやヨシュアさんなどの意志によって彼女らが今健やかに生きていることや、せいいき桜が丘が成り立っている事、シャミ子や桃が意志を受け継ごうと決心する様子なども度々終盤に示されるが、(特に3,6巻など)これも、今は実体として居ない人とも意志によって間接的に繋がっているという人と人の繋がりのあり方が示されているものだと思う。

 

 

これらと比べると4巻はどうだろうか。勿論、ばんだ荘で二人が鉢合わせるシーンなど、シャミ子と桃の絆の強さを象徴するシーンは沢山あるが、どちらかというと人と人の関係性、というよりはシャミ子が自らの力で先頭に立って事件を解決した、というシャミ子の成長を表すのに重点を置いた巻………と最初は思っていた。

4巻で描かれていた街の人との関わりとアニメの恩恵

しかし、アニメ2期11話を見て、また改めて漫画を読むとかなり印象が変化した。

結論から言うと、4巻は「ミカンが学校の人たちに温かく受け入れられた」ということと、それがあったからこそ「『分け隔てなく皆に居場所を与えたい』とその場の全員が願う」、という出来事が描かれていて、それによって、「高校のクラス・委員会の皆」全体の優しい人間の関係性を伝えた作品だと思う。

つまり、結局4巻も他の巻と同様に、人間の関係性の話だったのだ。

 

アニメを見た後に原作を見ると、特に大きく何かが変わった訳では無く、原作を非常に忠実に映像化した作品である。

それでも、これが分かりやすくなったと感じたのは、やっぱり、「高校生活」という身近で分かりやすい舞台がより高いリアリティで表現されたからなのかなと思う。

細かいシーンの雑多な感想

・まず「11話で新学期が始まりミカンがクラスに来る」というのが結構尺的にギリギリの構成だったと思うが、これで11→12話の流れ、言いたい事が綺麗にまとまってたと思う。12話はそれによってとんでもなくギリギリになっているが。

・自己紹介のシーン。やっぱり「転校生の自己紹介」というシチュエーションだけで、大分アニメ化で空気感が伝わる度が違うなと感じる。本当に良い雰囲気なのが伝わってくる。

・自己紹介をしてすぐ(の休み時間)に話しかけてくれる感じとかも、やっぱ良いよね……

・委員会という形で体育祭に関わりたいと志願するミカン。「居場所を見つけてあげる」という12話終盤のテーマと明確に繋がっていると思う。そして勿論すぐに受け入れられる。

・↑ここでミカンと杏里ちゃんの話を聞いてるシャミ子の表情と声がアニメでさらに追加されて、最高に良かった
そういう反応するよね、横で聞いてたら……(漫画でいうとp84左側1,2コマ目)

・この記事とはあまり関係ないけど、シャミ子ツノが生えてない時代のアニメ化、漫画で見る以上に大分しんどそうだったよね……
3巻終盤(2期6話)、2巻終盤等の病院の描写といいここら辺がリアルになると、本当にしんどいのが伝わる。

・体育祭実行委員の皆さん、アニメ化されるとより可愛くなったな……

 

追記

原作で実行委員会の皆さんの名前が明らかになるのは6巻のスイーツラウンジまで待ってからだけど、このアニメでは12話で出てるという話を聞きました。

そういえればそうだ。そこら辺、やっぱりネームドのほうが愛着が湧くのは間違いないので良い変更ですね。本当に頑張ってるアニメ化だ………

 

・シャミ子がずっと心配してるのも優しさが感じられるところ。

・ミカンの呪いで看板が汚れてしまう。ここで全員がミカンを気遣ってくれるシーンも、漫画だと2コマだけなんだけど、アニメでは皆が真っ先にミカンを心配している様子とか空気感が本当に良く伝わるようになったと思う。

漫画でいうp93右側のシーン。本当にシャミ子やミカンの台詞の説得力が増したなと思う。
「優しい人ほど 私に近しい人ほど傷つけてしまう」の台詞も本当に印象的なものに感じられた。

総括

11話の感想は大体これで終わりだが、話は12話へと続いて一つの結末を迎える。

シャミ子に代わって対話での交渉を模索する桃、事件が終わった後もチャットでミカンを心配してくれている杏里と手伝ってくれる実行委員会の皆、そして「大失敗しても受け入れてもらえた」からこそウガルルを生かそうとするミカンなど、言いたいことは沢山あるが……

とにかく、これは学校(もっと言えば社会)の中で居場所を見出した人たちと、その周りの人たちの関係性の話と総括できるのではないだろうか。

そして、桃やウガルルの台詞の通り(漫画p119)、シャミ子の能力や気遣う気持ちが大きなきっかけとなりその関係性が生まれたことは間違いないだろう。

みんなの住みやすい町を作っていくんだ!!」という漫画最後のナレーションもかなり印象的だ。せいいき桜が丘にとって、「まちカドまぞく」という作品にとっての「みんなの住みやすい町」というのが、このような関係性や行いが生まれる町なのだろう。

それは、とても尊い関係性がある町だと僕は思う。

 

 

当ブログでは、他にも様々なまぞくの記事を書いています。

kc1game.hatenablog.com

5巻の記事

kc1game.hatenablog.com

 

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