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アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の原作からの変更点の整理と、その個人的な解釈まとめ(1~4話)

5話以降の記事はこちら

kc1game.hatenablog.com

 

タイトル通りの記事です。

アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」皆さん見ていますか!?!?

 

このアニメは、画の動きや描き込みの細かさ、14曲にも及ぶ作中バンドの曲など、あらゆる面において非常に丁寧で素晴らしいクオリティのアニメですが、特筆すべき特徴として「原作のストーリーをより良く見せる手腕、再構成や改変が非常に優れている」というものがあります。

4コマ漫画のストーリーを、基本的にはそのまま追いながらも、原作では描写されていなかったシーンなどを追加したり、物事の順序を入れかけるなど、多数の変更点がこのアニメにはあります。

そんな変更点をまとめて、また、それにどのような意図があるのか、個人的に解釈した事を書いていきたいと思います。

 

6話までで1記事、で最初は行こうかと思ったのですが、4話がかなり変更点が多いため4話までにしました。

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特に大きくストーリーの印象に変化を与えているものについては、色字などの装飾をしています。
基本的にはアニメで出てくる順に書いています。複数個所や全体にわたって変更されている部分は、基本的には初出の部分を書きます。

1話

・漫画版の「0話」(中学までの話)の尺がかなり増えた
-原作ではわずか3ページくらいしかない。小学校の中身だけ凝ったお弁当など、よりリアリティのある描写になり、ぼっちちゃんの個性が印象付けられた。

 

・ぼっちちゃんの各種の弾き語りに曲がちゃんと付いた
-この話以外にも、3話などで何度も登場するが、しっかりと歌詞は原作通りで曲がついている。

 

・冒頭(動画サイトに動画をアップしたりする場面)…声がつき、よりシリアスな印象に

-声がついてリアリティが非常に大きく増したのは全てのシーンについて言えることだが、このシーンなど、原作の初期の場面は絵の可愛らしさもあってか、以降よりもやや緩い印象を受けたがそれが無くなった。
それにより、ぼっちちゃんに共感できる人はより共感できるようになったのではないかと思う。

 

・ギターを持って学校に行く動機が明確になった

 

・クラスメイトや虹夏ちゃんなどの一部の(ぼっちちゃん以外の)心の声がカットされた
-よりリアリティを増す演出の一環であると思う。ぼっちちゃんが教室に入った時のなんともいえない空気は視聴者が仕草などで察する形となった。

 

・喜多ちゃんが先に少し登場

 

・ぼっちちゃんが虹夏ちゃんに学校名を言う
2話でも言うのだが、学校が違うということはこの作品のテーマ的に結構重要なことだと思う。(社会での既成の枠にとらわれない居場所の話でもあるので)

 

・ぼっちちゃんが目を合わせずに会話する動きがかなりリアルになった
-一般的なアニメに比べるとかなりデフォルメされた表現ではあるのだが、このアニメは元々デフォルメされた表現が多いため、その中では相対的にリアルになった。原作ではかなりネタ的な動きの表現だった。結果としてよりリアリティを感じられるようになった。

 

・ライブハウスに虹夏ちゃんの姉がいる話が一旦カット(緊張して話が聞けなかった描写)
-一話はぼっちちゃんに焦点を当てた話なので、特に一話で再度出てくるわけでは無い設定は後回しにされたと思われる。
この話は、アルバイトをすることになる2話の中盤で言及されることになった。

 

・虹夏ちゃんがギターヒーローに言及するタイミングが変更(ぼっちちゃんがゴミ箱に籠った後)
-シンプルだが、非常に大きな効果をもたらす変更がされた。
原作ではライブハウスに着く前に虹夏ちゃんが言及する。

一度ゴミ箱に籠って、半ばライブに出ることを諦めかけたアニメの終盤のタイミングで虹夏ちゃんが言及して、そこで最初に現実の人が自分を見てくれている、ということに気づく、という形になった。
より1話の中での起承転結が明確になり、劇的な構成となった。

 

・ぼっちちゃんの心の声追加(絶対無駄にしちゃダメだ!)
-前の項と同様。虹夏ちゃんたちは無理にはサポートギターをやらせないが、ぼっちちゃんが自ら決意するところが明確になった。

 

・心の声追加(私、次も居ていいんだ…!)
-「次って…」は原作からあるのだが、それに少し追加されただけで大分分かりやすい表現になった。

 

・「結束バンドのために…」の心の声がライブハウスを出た後になった
-配信サイトなどのサムネイルに使われているシーン。一人で決意を固める、ぼっちちゃんらしいシーンになった。

 

2話

・氷風呂のシーンが一旦先に来るようになった。
-単純に見やすくなった。なお、氷風呂に入ったり扇風機の前でギターを弾く際にいわゆるスク水を着るようになった。

氷風呂から話が始まって、虹夏ちゃんが飲んでいるドリンクの溶けた氷で話が終わるのは暗喩なのではないか、という説もある。そう解釈できる余地は十分ある。

 

・ひとりぼっちの丘、ギタ男講座など
ギャグのイメージ映像が異常に凝っているのもこのアニメの魅力。

 

・お弁当を作る虹夏ちゃんの様子が追加された

 

・ライブハウスにいるバンドの様子(MC、演奏)がある程度リアルに描写された
-バンドの演奏の曲調がそのまま演出に使われる感じにも見られる。

 

・虹夏ちゃんの台詞が追加された(ぼっちちゃんにも良い箱だと思ってほしい)
-虹夏ちゃんが、「姉のライブハウスを皆に良く思ってほしいと思っている」という思いが先により強調された。また、ぼっちちゃんへ声をかける場面が増え、より聖人になった。

 

・ぼっちちゃんがお客さんの目を見て接客するシーンがギャグシーンではなく真面目な形になった
-かなり見た印象が大きく変更される改変がされた。
先ほどの虹夏ちゃんの言葉を受けて、自分も一歩踏み出す勇気を出し、頑張るというシーンになった。

原作ではギャグ的なシーンだったが、表情も頑張って絶妙な感じになってる表情になり、虹夏ちゃんがその後褒める台詞もいくつか追加された。

原作では、喜多ちゃんを止めるシーンが初めてぼっちちゃんが一歩を踏み出すシーンという印象を受けるが、アニメではここに変更された。アニメの1話ごとにきちんとドラマ(キャラクターの成長など)がある形にした、と思われる。

 

・ぼっちちゃんが「また明日」と言うようになった
-表題にもなっている重要な台詞だが、原作に無い、無から作られた台詞。

ぼっちちゃんが少し成長したことがより強調された。
ここで虹夏ちゃんがバイトを振り返る際、溶けた氷が映るので、アニメの最初の対比とも取れるかもしれない。

 

3話

アニメ冒頭の妹が登場するシーンは、単行本で追加された番外編エピソードのもの。

 

・ぼっちちゃんが他力本願であることを自分で言うようになった
-原作では□で囲まれたナレーションが使えないというのもあると思うが。

 

・ぼっちちゃんが最初から喜多ちゃんを気遣ったり、共感したりする心の声が多数追加された
-話の導線として丁寧。喜多ちゃんがぼっちちゃんと同じように、バンドに入ることで自分や何かを変えたいと思っている、ということにぼっちちゃんが気づいたことが強調された。

 

・バンドを始めた動機を振り返る時に1話の中学時代の回想が追加された
-前の項と同様。

 

・喜多ちゃんを引き留めるシーンが大幅に変更された
-3話は最後以外にはそこまで大きな変更点は無いのだが、最後がかなり大幅に変更された。

 

まず、ぼっちちゃんがつまづき、カーテンの中に引きこもったまま話すような恰好になる。そこで、自分が最初に段ボールに入って演奏していたが、仲間に支えられてもらったという旨の回想と追加台詞が入る。

その後、虹夏ちゃんに起こしてもらい、喜多ちゃんの指先に言及(リョウが補足。)

それを知った虹夏ちゃんとリョウが顔を合わせる描写が追加

その後、虹夏ちゃんの台詞が追加(逃げていなかったらぼっちちゃんと出会えなかった/ずっとバンドやりたかったから引け目感じちゃうのも分かる

そこでぼっちちゃんがカーテンから抜け出して共感する。

 

こう書きだすとかなり変更点が多いが、まとめると、ぼっちちゃんが一人で引き留めていたのが、皆で止める形になり、また、ぼっちちゃんも含めて、皆で助け合うこと、皆でバンドをやる事の良さを強調する形になった、と思う。

 

原作ではここが初めてぼっちちゃんが一歩を踏み出すシーンという印象があった。しかし、アニメではカーテンに引きこもったところを虹夏ちゃんに起こされ、皆で説得するという形になり、ある意味ではぼっちちゃん自身は弱体化したようにも見える。

これは、アニメでは既に2話で一歩を踏み出しているので、それを踏まえて、皆に助けられて、既に自分にも少し変わったことがあったという風にしているのかなと個人的には解釈している。

 

4話

この話は全体を通して非常に大きく構成が変更された。
原作では、アーティスト写真を撮る回と、ぼっちちゃんがリョウに歌詞を見せる話は完全に別な話となっているのだが、アニメ4話では見事な構成でそれらが関連付けられた。

全体を通して考えてまとめると、

リョウが「バンドらしさ」「既存のものと同じもの」を目指すことをあまり良く思わず、「結束バンドらしさ」「4人それぞれのメンバーらしさ」「新しい(今までにない)もの」を重んじる姿勢であることがより色々な場面で描写され、明確化された

といえると思う。

ややメタ的な話ではあるが、この話の中で登場する「きららジャンプ」も、ネタではああるが、いわば、既成概念、パブリックイメージ、先代の功績の遺産の象徴的なものであり、そこら辺に原作がわざわざ(この段階で)言及したことも、このような構成に至ったきっかけというか、要因なのかもしれない(何かアニメスタッフも汲みとったものがあったのかもしれない)。

 

・冒頭に、雨の中、リョウが閉店したCDショップに行き、そこに貼られている前に入っていたバンドと思われるアー写を見る描写が追加された。
-これ、初見では気づかなかった人も多いのではないだろうか?

気づかなかった人はもう一度4話冒頭を見返してほしい。

何故リョウがCDショップに言及したのか、若干はっきりしないところが初見ではあったのだが、これでかなり分かりやすくなった。

 

・最初の集まりのテーマが「より一層バンドらしくなるには?」に変更された

-原作では最初から「アー写を撮ろう!」
「バンドらしさ」というところにリョウが乗り気で無い描写も追加された。

ここら辺の会話はかなり尺があるが、そもそも原作ではそんなテーマの集まりは無いのでほぼ全てオリジナルである。

ぼっちちゃんが「バンドらしい歌詞を書く」と決めて、リョウが乗り気でないそぶりを見せるシーンも追加。

 

・リョウがCDショップに言及する
ここが何故追加されたのか、すごく明確に示される訳ではないのだが、冒頭のシーンと合わせると何となくは分かる気がする。今回は記事には書かないで皆さんに任せます。

もしかしたら後の回でまた更に少し明確になる可能性もあると思う。

 

・リョウのカフェでの台詞が全体的に変更された。
-特に、「バラバラな個性が集まって それが一つの音楽になって それが結束バンドの色になるんだから」の最後の部分が、かなり原作以上に、「バンドらしさ」ではなく「結束バンドらしさ」を重んじる姿勢が表現された…のだと思う。

おわりに

これでおおよそは終わり。

他にも、リアルな背景や、コミカルなギャグの演出など、アニメ化による恩恵などは言葉で表せないほど大量にあるのだけど、今回はストーリーの印象が変わったところを取り上げました。

次の記事はこちら↓

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