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アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の原作からの変更点の整理と、その個人的な解釈まとめ(5~8話)

1~4話の記事

kc1game.hatenablog.com

9話以降はまだ

前回の続きです。

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はじめに

皆さんは、原作者のはまじあき先生のyoutubeチャンネルはご覧になっていますか?

このチャンネルでは、原作者のはまじあき先生、原作音楽監修のinstantさんと一緒にアニメを視聴し、裏話をしたりする生放送が行われて、ダイジェストも公開されています。おすすめです。

www.youtube.com

それで、このチャンネルの配信や、それ以外の関係者の方のtwitterなどで何度も言われていることではありますが、「ぼっち・ざ・ろっく!」のアニメ化、脚本には原作者さんを含め、多くの方が携わっており、単にアニメ制作の方が勝手に決めて放送している訳ではないそうです。

この記事もそれを踏まえて読んでくれると良いと思います。

5話

・「ライブに出せない」と言われた後に、ぼっちちゃんが皆にオーディションがあることを伝えるシーンが追加された
-虹夏ちゃんの心の声はリョウに言わせるようになり、キャラ付けが明確な形になった。

 

・オーディションが翌日→一週間後に変更された
-ぼっちちゃんが練習を続けながら悩む感じの描写が追加された。

 

・4話での変更に合わせて、虹夏ちゃんの台詞の言い回しが変更された
-前回の記事参照。4話で、リョウが(固定概念的な)「バンドらしさ」を嫌う描写が追加され、結束バンドはそのようなものではなく「結束バンドらしさ」を目指すものだという話が(原作より大幅に分かりやすく)された。

-原作では、虹夏ちゃんが最初に「バンドらしくなってたら良いと思う」と言って、その後に「それって『バンドとして成長してるか』っていうことだよ!」と言う構成になっているが、アニメでは最初から「バンドとしての成長」を見せるのを目標にしている

-リョウが皆をきのこヘアーにする場面もそれに合わせて「バンドマンとしての成長を髪型で表現」したということになった。

 

・ぼっちちゃんが「成長」について考える回想が追加。(原作2コマ)
-練習期間が一週間になった分の練習風景が描写された。

 

・虹夏ちゃんがぼっちちゃんに語りかける場面の台詞が大幅に追加された

-原作で2コマしかない部分に非常に長い尺の台詞が追加された。

-まず、ぼっちちゃんが何故バンドをしたいのかについて虹夏ちゃんが聞くようになった。

原作では、ぼっちちゃんが何故バンドをしているのか、虹夏ちゃんが聞かないまま1巻の最後(8話)を迎えるという形になっていたが、ここで聞くことによって、ここで ぼっちちゃんがはっきり答えられなかったのと、8話ではっきり答えられた対比がよりはっきりするようになったと思う。

また、「メンバーそれぞれが異なる色々な想いをバンドに託している」というのは、勿論原作でも1巻の最後やその後のエピソードでしっかりやっているが、アニメではここまでの話の時点でよりそれを強調しようという意図が感じられる。ここもその一環だと思う。

-その後、音楽活動にも色々な形があることに触れ、ぼっちちゃんはギターヒーローのことを振り返った(そして、ネットがある中で何故今バンドで活動したいのかを改めて考えたのだろう)。

・ぼっちちゃんのライブ前の心の声の表現が少し変更された
-少しの変化だが、かなり直接的な表現に変わり分かりやすくなった。

-自分がちやほやされたかった→「(今は)ちやほやされたいのはこの4人でだ」という言い回しになり、ダイレクトな表現になった。

 

・オーディションに落ちるわけにいかない→バンドを終わらせたくないという台詞が追加された
-皆や自分がバンドに色々な想いを託してることを振り返った上で、それを続けたいとこの時点で強く肯定する表現になった。

 

・星歌さんの台詞が追加された
原作では普通に合格を告げていた。

 

・合格が告げられた後に、虹夏ちゃんとリョウがぼっちちゃんに気付いた描写や、喜多さんが喜んでぼっちちゃんに駆け寄る描写などが追加された
-演奏シーンでもそうだが、喜多さんは上手いぼっちちゃんを最初に見ているからか驚きはやや少ないようにも見えるかもしれない。

6話

・ぼっちちゃんを心配するメンバーの様子が追加された

 

・ぼっちちゃんがお客さんとの間に「壁」を感じるシーンは、アニメならではの表現がされた。
-脚本の変更点では無いが、完璧な映像表現。

-最初はぼっちちゃん側には高架の影がかかっており、お客さん側には陽が当たった状態になっていて、その境目は非常にはっきりついている。

しかし、ぼっちちゃんが「敵」がいないことに気がつくとぼっちちゃん側にある街灯が付き、お客さん側との明るさの差が少なくなる(境目が曖昧になる)。

これはかなり露骨に表現されているので、是非見返してほしい。

漫画でも4コマのサイズの中で十分良い場面だったが、アニメ化にあたって、CGの壁とかが出てくるのではなく、このような形の演出が使われたのはとてもよかったと思う。

照明をつかった感情表現は3話の喜多さんが話す場面などでも使われた。

 

7話

・大きな変更はないが、ぼっちちゃんの家族がより描写されるようになった。
-家族と仲が良いものの、あまり信頼はされていないというのが表現されるようになった。
-この家族が来れない中で、次の話でぼっちちゃんがファンを(おそらく皆の中で唯一)ライブに呼べたことは中々皆やぼっちちゃんにとって印象的だったのかなと思う。

 

・6話に引き続き、アニメ1話につき漫画1話ペースでの映像化がされた。

-ぶっちゃけ、7話自体にアニメ1話をかけてやる程のシナリオ的に重要なイベントがあったかは何とも言えないが、やっぱり5話→8話でのぼっちちゃんやメンバーの気持ちの変化を表現するには、間に2話くらい空ける必要があったというのは妥当な判断だと思う。

 

8話

・基本的な台詞やシナリオの流れは驚くほど原作と同じ。
-登場する度に原作から台詞を増やされていた虹夏ちゃんも、この話の最後は一切原作から台詞を増やされていない。

-原作から非常に完成度の高いエピソードなのだが、それを忠実に再現するだけで、これまでの話でのアニメでの表現の積み重ねにより、原作以上に色々深いものを感じられるエピソードになったと感じた。

 

・原作では演奏の途中にぼっちちゃんが頑張り出したような描写だったが、1曲目の後に2曲目のイントロをアドリブで弾き始める描写に変更された
-原作サイド側による提案だそう。

 

・その他、ライブ中に多数のアニメならではの表現が追加された
-最初のリズムが乱れた演奏、各メンバーの表情など……

-もちろん原作からある表現も丁寧にアニメ化されている。

 

・最後のぼっちちゃんと虹夏ちゃんの会話が原作よりさらに尺(間)が長くなった
-登場するたびに2コマしか無いシーンにめちゃくちゃ台詞が増やされたりする虹夏ちゃんだが、今回はほぼ全て原作通りである。つまり、尺が増えたというのは感覚的に長い時間を使っている…ように感じられたという意味。

-「間」の使い方、お互いの表情などの描写が非常に丁寧だった。

 

-このシーンの台詞自体は原作通りなのだが、これまでの過程で虹夏ちゃんは、5話でもぼっちちゃんのやりたい事を問うなど、ぼっちちゃんとの関わりがかなり原作より増えた。

それを踏まえてこのシーンを見ると、ぼっちちゃんがギターヒーローだと気付いたのも、気づいた後にそれを言うかも、考えに考えた末に言った…というか、そのために外に出ていたのだろうと個人的には思う。

その時の虹夏ちゃんの気持ちなどもより色々と考えることができる表現になったと思う。

余談

5話の冒頭や6話の中盤などで、特定の台詞がカットされる一幕があった。

まあ、1~4話の時点で、下着で演奏した動画を投稿しようとするシーンなどがカットされていたのだけど、まとめて言及する機会が無かったのでここに書きたいと思う。

 

真面目に考えると、この作品は陰キャの女の子を主人公にしている作品ではあるが、必ずしも男性向け、陰キャ向けに括られるテーマ性の作品ではないと僕は思う………というか、制作陣はそうしたくはないのだろうと感じる場面がとても多い。

そういう事を考えると、やや厳しめの判定にしているのも妥当だなあと感じる。

 

まあ、それはそれとして、わざわざ会議をして特定の台詞をカットしたのだろうというのは面白いのだが。

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