タイトル通りです。
このブログにいくつか記事を投稿したように、自分は『まちカドまぞく』でめちゃくちゃ久しぶりに本というものを読んで、「小学生の時は本が大好きだった訳だし、やっぱりこれからはゲームだけでなく、もう少し色々な本というのを読んでみよう」と思いました。
その第一弾ということで、今回は「がっこうぐらし!」を読みました。
いきなりこの作品というのはどうなのか分かりませんが、でも、これを選んだのは単純に自分が読みたかったからです。
きららを読んでる人とか何人かにおすすめされたのはありますが、沢山勧められた中で自分が読みたいと思ったのがこれだったのでまずこれを読みました。
あ、この記事も参考にしました。ありがとうございます。
そんな訳で、「がっこうぐらし!」を初めて読んで今感じたこととか、思ってることとかを書いていきたいと思いますが、今回は「日記」なので、本当にただ、個人的に感じたことを記録するだけです。
自分はまだ「まちカドまぞく」しかきららというか漫画を読んでないし、ゾンビ映画とかも何も知らないので……
「まぞく」の記事の時は、きららとか知らないなりに(だからこそ?)小学生の頃から色々なファンタジー作品とかに触れてきた視点とかも含めて色々な事を自由に書いてたし、一応、ネット上の他の方の記事とかを読んで、「自分が思ったことのうち、あんまりネット上で言われてないような事を書こう」みたいなのもあったんですが、今回はそういうの一切無いので。
まあ、そういう人の日記だと思ってください。
あ、当たり前だけどこの先ネタバレしか無いのでご注意ください。
(ネタバレ防止スペース)
サムネ用画像:
https://comic-fuz.com/manga/272
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1巻~6巻
・「普通の日常の話かと思いきや実はゾンビが出てくる怖い話」というのがあんまりにも有名なこの作品。
流石にそのイメージは知っていたけど、実際にはその部分は(4コマでない方の漫画での)1話で既に大体終わり、そして本格ゾンビサバイバルが始まる。
・やっぱり、この間で印象的なのはみーくんが加入して、ゆきに問いかける場面。
→読んでいる方から見ても、最初は「ゆきが他のメンバーに負担をかけているのかな?」と思うのが、段々、いや、そうじゃないんだ、生きるために必要な人、生きるために頑張っている人なんだと分かってきた辺りでこれがあるのが良いなと思った。
→あと、それから「新しい人がメンバーに入ってきて想いや意見をぶつけ合う……
それって『学校生活』………ってコト!?」
になるのもやっぱ良いよね。(まああとがきにも書いてあるけど………)
学園編は結構、この巻(3巻)以降もそこら辺の重ね合わせが素敵だなあというところが多い。
・「日常」を死守、堅持して、後は各々が得意な事を担うという学園生活部の方針がかなり明確になるという意味でも、3巻は本当に大きな節目だなと思う。
・これ以降のゆきの行動はずっと印象的だけど、3巻に続く4巻、5巻で更にゆきが皆の支えとして頑張っていることが示されるのが良い。
・5巻の一番最後、卒業式の黒板はすごく印象的。
7巻~9巻
・大学編では「武闘派」との対立が主なものとして描かれる。
・他の人間との対立ってまあ、ハリウッド映画とかでもよく見るものだと思うけど、やっぱり王道は面白いし色々な話が出来るからこそ擦られるのかなと思った。
・まあ、リーダーの頭護さん(タカヒトさん)と、一人で生きることを選んだ神持さん(アヤカさん)は最終的にかなり極端なところまで思想が突っ走ってしまったけど、他のメンバーも含めて、元々のコンセプトというか、彼らが集まってるポリシーというのは「非日常の状況下では非日常の振る舞い・対処をするのが大人だ」といったところだと思う。
・ゆきの行動は、作中(学園編)で「退行」とも表現されたけど、でも、それでも、みーくんは「子どもっぽいけど、子どもじゃない」と大学編で発言したのが凄く印象的で。
やっぱり、それと対極にあるのが武闘派なのかなと思う。
・他にも、まさに武闘派との闘争のさなかに ゆきが「みんなのおかげで わたしはここにいる」「だから頑張ろうと思う」と語るところも完全に(選ばれたから、凄いことをしたからここにいると思う人との)対比だし、他にも色々なアンチテーゼが綺麗だから…まあ、そういう話だよな、と思うし、しっかり大学編の意義はあったんだな、と感じた。
・どうでもいいけど初代スプラで遊んでるのはあまりにも「時代」すぎる…今見ると。
10~12巻と、全体の感想
ランダル編、最終巻は怒涛の展開だったけど、何とか、本当に何とか学園生活部は生き残った…。
やっぱり、最後の終わり方の話はたくさんしたいなと思うのでします。
最終話の終わり方は本当に奇麗
2022/10/2追記
最終話、やっぱり、「ゆきは毎日の学校を楽しく過ごしてるけどそれは実は幻想でした」から始まった話が「ゆきが学校の先生になりました(≒今も学校が好きです)」で終わるのはめちゃくちゃ綺麗だなと思う。
最初は本当に幻想を見ているだけ、に見えたゆきが、学園生活部が生き残るのには欠かせない存在で、皆が、学校で生きるために必死に活動していることも、道中色々な人とお別れしなければいけなかった、いつお別れが来るかも分からない世界を生きていたことも知っている(知った)子で…というのが分かった上で最後にこれが来るのが良いなと思う。
要するに、学園生活部は「単に」楽しい学校生活をする部活、という訳ではなく命がけで生きなければいけない所だったという事を分かった上で、それでも学校は凄いところ、楽しいところ…と言えるのは凄いよ。
(なんで凄いのか?、なんで学校が好きなのか?ということについては、ゆきの台詞の通り、学校の仲間が居たから生き延び、世界を救えたから、というのは勿論そうだけど、それ以上に、次の頁で書いてる「社会の肯定」とか、色々な想いが詰まってると思う。)
それが一話のオマージュまで使われて示されるのはやっぱ、良いですね。
「『日常』の肯定」はやっぱり「『社会』の肯定」でもあってほしいなと自分は思う
最終的には、ゆきが通信機で直接訴えることでサバイバル生活は終わったけど、その上で美紀は最終話で「みんなが世界を救った」と語る。
そして、学園生活部の皆はそれぞれの道で、荒れ果てた世界で皆が生きるための仕事に就いた。
その中で、ゆきは学校の先生になって、自分の過去に重ねて学校のすごさ、心を繋ぐことを解き、その上で「みんなが学校をすごくする」と言う……
これはなんか…凄く良かったなあと思ってて。
この作品はかれら、あるいは他の人間、核と、色々なものからのサバイバル生活を描いてきたけど、その間、状況が変わってもずーっと「『日常』を守ること」、「学園生活部の絆」とかが一貫して描かれる、というのが面白さ、話の良さになっていたと思う。
でも、その、作品で肯定してきた「日常」っていうのは一体どういうもの?、というのは、勿論それも何度もこれまでにも示されてきたけど、最後にしっかり示されるエンドは良かった。
で…その、示された概念は無数にあって、一言で言えるものではないんですけど、その、無数にあるうちの一つに「人と人とが協力し合う社会」みたいなのがあるのが良かった。(と自分は解釈している。)
…ちゃんと、9巻でも ゆきが「みんなのおかげで ここにいる」と言う場面のところで、(今だけでなく)「平和な頃だって色んな人に助けてもらった」って言ってるんだけど……
やっぱり、学園生活部の皆が、メンバーや仲間の皆だけじゃなくて「社会」が好きなのが僕は嬉しいよ。もはや自分たち以外に頼れる人もいない状況、この作品では特にカスみたいな人とか、敵対する人とかも居た訳で、それでもそれが肯定されるのが嬉しい。
…あの、他のきらら作品がどうとかは一切知らないし(重要)、そうでない作品がどんな場合でも悪いとかの話じゃないんですけど、ただ、自分が読んだまちカドまぞくでも結構、「シャミ子と桃の関係はせいいき桜ヶ丘という『街角』の縮図、そして『街角』は社会とか世界の縮図(であってほしい)」という概念が結構あったと思ってて、その考え方(小さな友情関係を肯定するだけでなく人と人との関係性全体を肯定する)がとても好きなので…
あとはまあ、小説『カラフル』(森絵都)とか…
同じ、といったらあれだけど、似た考え方で良かったです。
最後ほぼほぼ自分の趣味の話になってしまったけど……まあ、そんなところでこの記事は終わろうかなと思います。